育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

「やっぱりお母さんがいないから」という言葉の残酷さを・・・ちょっと実感

 

天気:曇り じめじめ。

今日は1日在宅勤務。仕事に費やせる残り時間も少なくなってきているのを、少しずつ感じ、やや焦り気味に引継書を作り始めている。

この日は久しぶりに妻の病院に行かなかった。16時に仕事を終え、少し休憩した後に夕食の買い物をする。そして終わった後に保育園に息子を迎えに行く。息子は元気そうで、駅まで電車を見に行きたいというので一緒に電車を見に行った。駅までも抱っこしたいとは言わずに歩いていたので、元気そうだなと思った。いつもと何も変わらない日々。

・・・の、はずだったのだが。ご飯をなかなか食べない。口に入れても、途中で吐き出してしまう。最初はわがままを言ってるのかなと思ったけど、なんだか顔が疲れているような表情。気になって体温を測ってみると。

また高熱。先週も熱を出したばかりなのに。息子は食欲はなさそうだけどそれ以外は元気そう。まだ風邪と断定することはできないけれど、とりあえずご飯もやめて食べやすそうなヨーグルトみかんにした。風呂は入れずに体を拭いて、すぐにベッドに移動した。息子はいつも寝付きがあまり良くないのだが、今日はベッドに入ると5分程度ですぐに寝付いてしまった。楽ではあるが、なんだか逆に心配になってしまう。

妻とLINEで連絡し合っていたが、妻から

そろそろ親に頼んだ方がいいんじゃない?

とのメッセージが届く。今は息子と二人でやっているけれど、以前から、どうしようもならない時は実家の両親に来てもらおうということは考えていた。だが、その「どうしようもならない時」というのが一体いつなのかがよくわかっていなかった。仕事も有給を取りがちではあったけれど、いってしまえば有給を取れば何とかなっていた。今週の土曜日にも中小企業診断士の実務従事研修があるけれど、それだって、どうせリモート参加なのだから、良くはないけど息子を看病しながら参加することだってできるのだ。仕事や研修も大事だけど、今は息子との二人暮らしを成立させることがもっと大事だと思えていた。

・・・ただ、本格的に妻が出産するタイミングになったら、結局、親には一度は来てもらわなければならない。出産の立ち合いの時、息子は一緒に立ち会えないからだ。妻がいる病院はそういう病院なのだ。

からしても、いきなり来るよりかは1回予行練習という形で来ておいた方がいいのかもしれない。そのきっかけとして考えるならば今回の息子の体調不良は、その「どうしようもならない時」という意味ではそうなんだろうと思う。

断られたら断られたで別に構わない。そういう気持ちで一度親に電話をしてみた。

両親は別に行っても良いと言ってくれた。両親とも来るのかそれとも母親だけが来るのかについてはもう1回考えるとは言っていたが。今私が住んでいるところと実家は、新幹線で移動するような距離感である。そして母親はほとんど一人で行動したことがないような、今では少し珍しいのかもしれないが、行動範囲が地元の限られた範囲の人である。そんな人が、新幹線や電車を乗り継いで息子の場所まで来るというのは相当大変なんだということだ。

私はどちらでもいいとは思った。来てくれるなら来てくれるのでありがたいところだ。ただ、電話越しで父が言った一言がどうしても気になってしまった。

熱を出すのは、やっぱり母親がいないからだろう

これを聞いた時に、なんだか非常に不愉快な気持ちになった。私は、ちょっとスマホの調子が悪いということで、電話を切った。これ以上喋りたくない、そう思ったのだ。

なんで母親がいないから熱を出すのだ。なぜそういう風な考え方になるのだ。実際そうなのかもしれない。でもそれは、何も知らない人に軽い感じで言われるような一言なのだろうか。足りないところもあるかもしれないが、自分なりに一人親状態の中で頑張っているつもりではある。息子にもたくさん負担をかけてるかもしれないけれど。でもそれをなぜ何も知らぬ人間に言われなければならないのだろうか。

実はこの言葉は昨日も別の人から言われていた。言葉の主は、昨日、商談先に同行した上司である。上司は育休や育児のための有給について非常に理解を示してくれている人だ。私としてもこんな上司の下でいられるのはとてもラッキーなことだと思っていた。しかし、その上司から、本日父から言われたように「今、息子が体調崩したら大変だろ。ほら、やっぱり母親がいないし、子供もいろいろ負担も感じているだろうし」という言葉を浴びせられた。本人は私に気を使っているような感じでもあるのだが、それが当人の私からすれば非常に傷つく言葉だということを、全く考える余地もなさそうであった。

たまに漫画やドラマや本なので、片親の話を読む時があるが、よく言われる嫌みのセリフである。そのセリフの悲しみは、やはり実際に1人親を体験しないと分からないのかもしれない。かわいそうと思われる筋合いはない。「ひとり親だとやっぱりだめなのか」と思ってしまわないように頑張っているところもあるのだ。そんな人に対してこの言葉はあまりにも残酷だろう。

まあ悲しいけれど、今息子の体調が良くなることを祈ろう。それだけである。いつも妻に相談できるのだが、これについては話せないな。ブログだけの胸の内。