育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

2023/6/7 朝、出血。そして、緊急入院・・・突然、父と子2人生活始まる

天気:快晴。

朝、6時半になる前だったと思うが、妻の「大変、出血した」という言葉で目を覚ます。

前置胎盤において出血をするということは、危険信号(警告出血)の可能性が高かった。妻の服を見ると、パジャマが赤く染まっている。妻はそれに気づいていないようで、指摘をすると慌てているようであった。平静を装っていたけど、妻は時折目を潤ませていた。そりゃそうだよ。

息子の朝の準備を慌ただしく行い、保育園にいそいそと預ける。会社は休む。万が一に備えて荷物をまとめる。そして、タイムズカーシェアを借りて、妻が通っている産婦人科に送り届ける。(最初はタクシーでいいかと思っていたけど、駅前のタクシーがほとんどいなかったので、あわててカーシェアに切り替えた)

8:30前に送り届ける。私も同席できるかと思ったが、残念ながらそれはできなかった。外で落ち着きなく、妻の報告を待つ。待っている間、昨日お酒をやめる宣言のために最後飲みまくったけど本当にやめることになるんだな、とか、妻に何かあったら今後どうなるんだろう、とか、出産前に会社を長期で休む事ってできるのかな、とか、とか色々頭を巡らせる。

3、40分ほどして妻からLINEが届く。救急車で大きい病院にうつされることになる。救急車には私も乗れるらしかった。

救急車には何十年かぶりに乗った。助産師さんも同席していた。助産師さんに「こういう時は手を握った方がいいんですかね」とかヘラヘラ確認しながら、妻の手を握る。

2,30分ほどして病院に到着。4階の産婦人科に移動する。私は診察室に入ることができないので、ひとまずは1階で待つことになった。頭を落ち着かせるためにジュースを飲もうと思ったけど、なぜか10円の釣りぎれ。落ち着かなくなってくるのでなぜかATMで3万円を下ろす。手数料が110円取られた。

駅の中にある売店を覗いてみる。もしかしたらこれから色々お世話になるのかもしれないな、などと思う。

しばらくして、携帯電話の番号電話が鳴る。先生からであった。また4階にあがって、診察室に入る。先生からは前置胎盤との報告を受ける。まずは1週間の入院、そこから先は妻の容体次第。長ければ出産まで入院することになる。ただ、お腹の赤ちゃんは元気だし妻の容態も消して悪い状況ではないそうだ。前置胎盤なので、いつ何が起こるかわからないという状況であるということ。

昨日の段階では、こんなことになるのはかなり低い確率だと思っていた。まさか本当になるとは。

妻はこの段階で会社への出社を辞めることを勧められた。

10時半から妻と二人きりになる。ペットのクリーニングに少し時間がかかるので待っていて欲しいとのことであった。待っている間、妻を落ち着いている様子だったが、きっと頭の中ぐるぐるとしていたことだろう。私も色々と話をして気を紛らわせようとする。妻お腹をすいたというので、ローソンでおにぎりやパンを買いに行く。妻はおにぎりとパンをしっかり食べていた。

12時頃になってもまだクリーニングが終わらなく妻は診察室で病院が用意したお昼ご飯を食べることに。私も病室が開くまで待つ必要性は要請はないだろう、ということで、一度病院を出て家に戻り、妻の入院に必要なものを買い揃えたり家から持ってくることにした。

電車を使って家に帰って、気を紛らわせるために近所のラーメンを食べに行く。もうおち着いて食べられないかもしれないから。14時前だったので空いていた。

食べ終わった後家に到着。そこで、私が普段持っている家の鍵を妻が持っていることに気がつく。(朝、妻から『鍵を貸して』と、家を出る前に言われたので妻に渡していたのだ。)家に入ることができないので、しょうがなく一度カーシェアを借りて病院に向かう。鍵をもらった後、再び家に戻っていく。この往復の1時間が何とも何とも・・・。

入院グッズを揃えるのは人生で初めてのことだ。足りないものを病院近くにあるドラックストアで揃える。

16時過ぎに再度病院に戻り、妻と少し話す。面会は基本的には1日30分まで。せっかくの30分だから色々話を聞いてあげたかったけど、ここあたりで私は1日の疲労感をどっぷりと感じていた。そして、これからしばらくは、息子と2人生活になるということへの不安を感じていた。そのせいか妻との話は何とも盛り上がらない。

30分立たないうちに、妻と別れ私はシェアカーで家に帰ることにした。移動中、浜田省吾のアイアムアファザーが流れてくる。父の日が近いからラジオで勧めてきたようだった。俺も立派な父親になれるのかな、なんてベタに考えてみる。

息子を迎えに行く。保育園の先生たちには事前に電話していたので、妻が入院することは知っていた。そのせいか、先生たちも頑張ってくださいというような言葉をかけてくれる、

息子は何もわからない様子で、私の迎えにはしゃいでいた。すぐに家に帰るのもちょっとためらわれたので、駅に電車を見に行く。

息子は、母がいない家でも泣き崩れたりわがままを言うこともなかった。ご飯もパクパク食べてくれたし、お風呂も楽しそうにしてくれていた。ただたまに、「カカはいないの?」「(寝室に入ったとき)カカ寝てないねー」と、母のことを気にしている様子だった。夜は、なんだかテンションが高くなかなか寝付かなかった。でも悲しんでいる様子でもなかったので不思議な子だなと思った。後々になって泣いてしまうことが増えてくるのかもしれない。

私は寝かしつけようと息子に子守歌を歌う。自分の子守歌に、いろんな感情があふれ出て、涙が止まらなくなった。

21時前に息子が寝付いたので、家の片付けをしたり、この日記を書いたりして過ごす。当たり前だけど、もう酒は飲むことはしばらくないだろう。

あまり背負い込みすぎないようにするけど、、まあ、しばらくはいろいろ悩ましい日々となりそうだ。

明日のワイシャツをアイロンがけしないと。それしたら早く寝よう。