午前中、妻が『しまむら』に行っているので、私は二太郎を連れて散歩。
今日はとても良い天気で散歩日和であった。途中、ファミリーマートでフィナンシェを買う。正確に言うと買ったのではなく、無料クーポンで頂いたものであるが。
(甘ったるくて美味かった)
散歩中、育休の期間変更(半年→1年)についてぼんやり考える。
少し前、会社側に育休期間を変更したいことを伝えた。直属の上司は事情を理解してくれた。久しぶりに上司と電話で話したけど、相変わらず穏やかな口調だった。最初に「育休を取る」と相談したときも、とても親身になってくれた方である。この上司でなければ、半年の育休はなかなか言えなかったかもしれないし、期間を伸ばすということについても気持ちのハードルが高かったかもしれない。男性育休は夫婦の問題だと思うけど、それ以外ではやはり上司がどのような人か、そしてどんな関係を築けているかと言うことも絶対的に重要だとあらためて感じた。
別途、人事総務部も確認。制度的には問題ないとのこと。こちらも親身に受け答えてくれたのでありがたかった。まだ確認しないといけない相手が数名いるけれど…まあ、多分大丈夫だろう。組織で考えたら、育休期間を伸ばすことで人員配置や業務負荷のバランスを見直さなければならない。その手間をかけることは本当に申し訳なく感じる。
でも、こう言っては何だけど…実際のところ、私がいなくてもそこまで会社が困るということはないんだろう。少なくとも、会社組織にとっての私と、家族にとっての私とを比較したら、代えの効かなさで言えば…間違いなく後者のほうが大きい。それも、圧倒的な差をつけて。そういう会社で働けていることは、この状況においては間違いなくありがたいことだ。働いている時はちょっとだけ虚しさを感じていたけどね。
家に帰宅すると、二太郎の肌着が干されていることに気づく。
これは私が洗濯したものではない。これらは、少し前に妻が「もう二太郎が着られなくなったやつ」ということで、衣類ケースから除外していた肌着であった。
妻が昼過ぎに帰宅したので聞いてみると
「これね。もう二太郎も着れないやつなんだけど。最後しまう前に洗っておこうと思って。ほら、吐いたりして結構シミになってたじゃない?保管する前に大人用の洗剤でつけ置きしてみようと思って。結構シミが取れたでしょ?」
とのこと。確かにシミがなくきれいになっている。ただ、私はシミのことよりも、
(…この肌着、捨てないんだ)
と思った。少し前に妻は「捨てようかな」と言っていたので、なんと返答をしたら良いか一瞬迷った。ただ、変な間を空けずに、「そうなのね」とだけ返した。妻は一瞬ためらいがちに
「・・・やっぱり、捨てたほうがいいかなあ?」
という。私は「どうだろうかね。まあ残してもいいけどね」とだけ答えた。
服を残すかどうかというのは、要するに
次の子を産むかどうか?
ということにつながる話である。
妻は今年二太郎を出産したわけだけど、緊急帝王切開だったこともあり、医者からは仮に次の妊娠をする場合でも1年は間を空けるように言われている。
私も妻も30代なかばということで、次の出産については気持ちだけで決められるものでは無くなってきている。年齢的なリスクも上がっているし、妻にとっては更に一度緊急帝王切開をしたことによる心身へのプレッシャーにも耐えなければならないのも辛いことだ。
ただ、それ以上に、二太郎がどうなるかがまだ全くわからないのが判断を難しくしている。二太郎がそこまで手がかからないのであれば、頑張って3人目もチャレンジしてみたいが、二太郎に沢山の時間やお金がかかるというのであれば、3人目を産む余裕はないのかもしれない。
そういう感じなので、単純に服を捨てるのが勿体ないかどうかと言うだけでは無く、我が家にとってはちょっとセンシティブな話題なのだよね。ただ、妻がこの服を洗濯したということは…妻の気持ちとしては、そういうことなのかもしれない。
きっとこの服は、乾いたら丁寧に畳まれて、子供部屋の奥に眠ることになるだろう。
…いや、やっぱり「捨てよう」って言おうかなあ。もしも3人目を産まない決断をしたときに、捨てるのがつらくなりそうだし。もしも3人目を産めるような状況だったらまた買えばいいのではないか。「ああ、あのとき捨てなきゃよかった!!」というのは幸せなセリフになるだろう。
明日、「3人目を産めるときには新しい服を買ってやろう。おれも兄貴のお下がり回されるの嫌だったし」とか言おうかな。…悩ましいなあ。