育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

妻がいてもいなくても子育ての負荷は変わらない(育休107~108日目)

 

朝。

まだ妻の体調はだいぶ回復。まだ少し喉が痛むようだが、本日は家の掃除をしたり、二太郎をつれて散歩して過ごしていた。

 

ここ数日、ワンオペ育児をし、改めて育児の大変さを感じたところである。妻が回復したことでなんだか肩の荷が少し降りた気がした。

 

さて、今日から育児がだいぶ楽になる…かと思ったが、実際はそうでもなかった。もちろん、妻と育児や家事の分担ができている。それなのになぜだろう、今日もしっかり疲れている感じがする。昨日まではワンオペ育児でハイになっていたので疲れを感じにくかったけど、今日になって反動で疲れを感じたのかもしれない。ただ、私個人の感覚としては、別な理由もあるような気がしている。それは、

 

子供(特に2歳児の一太郎)が、父だけではなく母にも甘えられるようになったことで、ワガママレベルのギアを上げたため。

 

ということ。

 

なんというか、妻が寝込んでいる間、一太郎は本当にいい子だった。普段はイヤイヤ言うのだけど、それがかなり減っていた。特に二太郎にミルクをあげたりオムツを変えてあげなければならない時に「ユーチューブみたい」「トイレいきたい」とか言っても、「ちょっと待っててね、二太郎のことをみなきゃいけないから」というと、素直に聞き入れてくれた。更に「ガーゼ持ってきてくれる?二太郎の口ふくから」と言うと、ほんとにガーゼを持ってきたりしてくれたのには驚いた。もちろん、寝るときにはふざけたり大声を上げたりするのだけど、それでもいつもより気を使っている感じがした。

それが妻が回復するやいなや、イヤイヤが再開したり、抱っこ抱っこと甘えるようになった。一太郎は私が認識したよりも状況を理解して甘えているようである。

 

子供がわがままをいうかどうかで疲れる度合いが変わってくるものなのね。まあ、そりゃそうか。

 

 

さて、もう一つ、妻がいてもいなくても疲れる理由があるのだろうと感じた。むしろこっちのほうが大きいのだと思うが、

 

妻が家事育児を分担したことで私のできることが増えた分、「他の家事育児の時間」が増えたため

 

ということ。

私がワンオペ育児をしているとき、私が一太郎にしてやれることはだいぶ制限がかかる。まだ未成熟の二太郎がいるので遠出はできないし、療養中の妻の食事の用意などもする必要がある。そのため、一太郎の遊びのためにできることは、せいぜい近場の公園に行くか、家のおもちゃで遊ぶかユーチューブをみることくらいであった。これくらいであれば、私の体力の消費も最小限で済んでいた。

 それが妻が復活したことで、シェアカーで遠くの公園に行くことができるようになった。これはワンオペではまずできないことである。そして、私自身の体力の消費も多かったわけである。

 

 

(シェアカーを借りて行った公園。近所の公園よりも楽しそう)

 

体力に余裕ができた分、さらに質と量を意識して育児をしたということだろうか。育児は時間の消費については際限がなく、やろうと思えばいくらでもできてしまうということなんだろう。ここらへんをあらためて学んだ気がした。

 

一方で、妻がいてくれたことで精神的な安心感は相当に上がった。ひとりで育児をやっていると、細かいことで相談できないし、常に気を張っている状態であった。だからこそ疲労感を感じずにハイに慣れていたのだと思うが。

 ただ、本当に自分だけでは対処できないようなイレギュラーなことが発生したり、子供に異変が生じたときなどは、一人で向き合うのと二人で向き合うのとでは全く違う精神状態だろう。

 

ダラダラ書いているけど、ここまでのことをまとめると、

ワンオペでも育児はできるけど、二人いることで子供のためにできることが増えるし、そのために必要な時間は無限なのである。また、二人で子供に向き合うことで、精神的な安心感が得られる

 

ということだろうか。ここらへんの認識が、「男性は育休を取る必要ない」や「昔はワンオペが当たり前だし、昔のほうが育児グッズや時短家電がなかった分、子育て大変だった」という意見に対する回答になるのではないかと思った。

 

つまり、

男性育休は取らなくても育児はできるけど、取ったほうが奥さんの精神的なストレスが軽減されるし、子供のためにできることが増えます

 

昔の方が便利グッズがなくて大変だったと思いますが、子供に対して費やせる時間はいくらでも必要なので、今と昔で育児の大変さは変わらないと思うのですが。逆に昔の育児は、子供と一緒に遊んだ時間は少なかったのではないですか?

 

という感じですかね。もちろん、私のただの感想なので、いくらでも反対意見が出てきそうですが。いらんことは言わないようにしよう。

 

ただ、ここで少し気になるのは、はたして、子供の適切な成長のために費やすべき親の資源(時間やお金)はどれくらいが望ましいのだろうか?ということ。過干渉でも良くないし、なにもしないのもだめだろうし…。

 これも私の感想だけど、子育てに費やしたときの単位あたりの効果って、少しずつ薄まっていく気がするのよね。限界効用逓減の法則が働いてそうな感じ。要するに、ある程度までは育児に親の資源を投入することの意義はあるけれど、一定レベルに達すると子供に与える影響はほとんどなく、もはや親の自己満足になる、というか…。こんなことを言ったら身も蓋もなくなってしまいますが…。

 また、育児が理由になるといくらでも資源を使えてしまう分、適量が見えなくなるのも事実である。親の影響力なんて、親が思うほどあるわけでもない、なんて意見もきくし、なんとも悩ましいですね。もし「子供はほっといても勝手に育つ」という経験則が正しいのであれば、今の我が家の育児はやり過ぎなのかもしれない。そして、確かに昔の育児のほうが大変だったかもしれないし、もしかしたら「子供の成長のため」という理由で男性が育休を取る必要性ってそこまで高くないのかもしれない。ただ、男性育休については奥様の精神的な負担を軽減するという大事な理由もあるので、資源投入量の適量だけでは語れないのかもしれないけど。(無論、生まれた子が親二人のサポートが十分に必要な場合は、「子供の成長のため」という理由は当てはまる。蛇足)

 

 

 

なんか色々書きたいことがあるけど、そろそろ年末調整もやらないと…。今日はこれくらいで。