育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

ゲームを楽しめる日を願って

 

金曜日。曇り。

 

昨日の夕方に市の保健師に連絡し、二太郎の療育について、今後どのような手順を踏んだらよいのかを確認する。保健師からは、明日に市の療育センターに電話し、対応を確認してほしいとのことだった。

 

ということで、今日の午前中に療育センターに電話。その後、必要書類を市のサイトからダウンロードして記入し、昼に私が療育センターに持っていくことにした。

 

療育センターに向かう道中、「はなまるうどん」があったので、そこで昼食を食べる。

 

はなまるうどん、ずいぶん高くなったなあ。これで790円。まあ、安いといえば安いのか。

 日頃の早食いの影響で、ササッと食べ終える。これからのことが不安で食事も喉を通らない…ということは無い。どんなときも食欲が変わらないのが私の長所である。

 

療育センター書類に用意した書類を提出。今後は担当者や医師と面談し、その上で本当に療育が必要なのかを審議されるとのこと。審議の上、必要ということになれば、実際に療育スタートとなる。

 どんなに早くても5月末からのスタートということで、これに対して妻は「もっと早くならないのかしら…」と焦燥感をにじませていた。私は妻に同調しつつも、焦ってもしょうがないよ、と伝えてなだめる。自分自身に言っているような気分だった。

 

妻は表面上は明るく振る舞っているけど、時折不安そうな表情や言葉を発している。まあ、そりゃそうか。ここで妙に落ち着いている方が「大丈夫か?」って感じになりそうだし。

一方の私は、妙に落ち着いている。だから、自分自身でも「大丈夫か?俺」と思わずにはいられない。

 

 心の何処かで、「覚悟が決まったのかな」という気持ちもある。それは、良いように言えば「家族のために生きる覚悟」なのだが、どちらかと言うと、「家族以外の事に全力で取り組むのを諦める覚悟」と言うほうが実感が伴う。

「家族も、仕事も、趣味も、全部全力投球!」と心から言えるほど自分はもう若くないのよな。抱える事が増えてくるから当たり前なんだけど、気持ちの面でそう感じることが多くなってきたような。大事なところに自分の資源を集中して使っていかないと、いろいろ間に合わないのよ。

いやはや、ずいぶんと保守的なおっさんになってしまいました。自己啓発本の標的にされるおじさんですね。ぬぬぬ。

 

 

 

 

 

 

夕方、妻からSwitchの初期化を頼まれる。Switchは妻が以前からメルカリで出品していたんだけど、このたびようやく、納得の行く値段で買い手が見つかったらしい。

 

一太郎が生まれた後、ようやく育児が落ち着いてきた中で、夫婦のコミュニケーションのために2年半くらい前に買った。でも買った直後に桃鉄を数回やっただけで、ほとんど遊ばなかった。私も妻も普段あんまりゲームをやらないというのもあるが、桃鉄をやっているときはすごく楽しくもあり、時間が一気に吸い込まれていく感じが恐ろしかった。これは子育てに支障が出る!と、Switchは封印することにしたのであった。高い買い物だったのに、なんともったいないことか。

 

 以前は、「また子育てが落ち着いたらやろう」、と話していたけど、Netflixでドラマ鑑賞するとか、夫婦で同じ本を読むとか、どこかに旅行するとか、夫婦のコミュニケーションのためにやりたいことは他にもたくさんあったので、そこまでSwitchに思い入れはなくなっていた。そこで、Switchが高く売れそうなうちにメルカリ出品することにしたのである。

 

 妻は「初期化する前に、もう1回やる?」と言ったが、すぐに「ごめん、やっぱりいいや。今は桃鉄じゃないね」と訂正する。

私は「いいじゃん、もう1回くらいやろうよ」と言いたくなったけど、妻はそういう気分じゃないんだろうなと思って、「そうね。まあ、桃鉄は今はいいか」と妻に合わせる。

 

…いや、もしかしたら、「いいじゃん、桃鉄やろうよ」と言ったほうが良かったのかな。妻とは長い付き合いだけど、答えがわからなかった。

 

 

また夫婦でゆっくりゲームできる日が来るのは…いつになるんだろーね。