育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

31週で訪れた緊急帝王切開 夫目線での記録

 

出産日から約1週間たった。

当日はいろいろありすぎて日記に残すことが出来ずにいた。少し落ち着いていたので、当日残していた備忘録を基に、出産の日のことを書いてみようと思う。

出産の予兆と急な展開

出産当日、私は長男の体調不良に向き合っていた。

明朝3時頃,息子の一太郎が熱を出して起きて泣いている。体温はこれは薬をあげなくても済んだ。熱を測ると40.1度。解熱剤の出番かな、と思ったが、先生からは辛そうじゃ無ければ無理に飲ませなくても良いと聞いていた。息子は水分をあげたら寝てしまったので、悩んだが少し様子を見ることにした。

朝5:50に起床。

明朝の対応と前日の看病の疲れから、寝不足感。起きた後もしばらくソファーでぼーっとしていると、妻の LINE で

また出血した・・・止ったけど

というのが入っている。ただ、それまでも出血はあったし、結局何も無いまま経過観察煮成るパターンであった。そのため、その時は今までと同じように大したことにはならないだろうと思っていた。私は妻のLINEにはあまり気を留めず、息子の体調を伝える。

起きたときは、少し熱が下がっていたが、まだ39度を超えており、心配であることをメッセージで送った。

午前中、妻からまたライン入ってくる。

今日、病院に来れたから来て欲しい。早ければ週明けにも帝王切開になるって。また出血したら早めるかも

急な展開と、妻の淡々としつつも気持ちが動揺しているメッセージを感じ、こちらも緊張感が走る。

どうやら、今朝血が出たのは思ったよりも深刻なことだったようだ。まだ出産予定まで 1ヶ月以上あると思っていたので、週明けでも想定よりだいぶ前倒しである。

私は、昨日、体調不良の息子を元気づけようと、妻に少し強引に「電話してよ」とお願いしていた。電話はベッドではできないので、患者の休憩所のような所まで移動する必要があったのだが、今は母体を動かしちゃダメだったのかもしれない。そこまで動けない状態では無かったけど、自分のお願いしたことも要因の1つとしてあったのでは無いかと罪悪感に襲われる。

ともかく、病院に行かなければ。ただ、高熱の息子を連れて妻の病院に行くことは出来ない。息子を誰かに観てもらわなければならないのだが、今は息子と2人暮らしなので直ぐには出来ない。ただ、偶然だが、本日、息子が体調が悪かったことが理由で、サポートのために田舎の母が新幹線と電車を乗り継いで関東の私たちの自宅にきてくれることになっていた。私は母に、「できる限り早く来て欲しい」とラインで連絡。直ぐに既読がついた。まずは母がこちらに来るのを待つ以外の方法がない。そのことは妻も分かっていた。

なお、この時は急な展開ではあったが、「週明け」ということから、今はジタバタしてもしょうが無いと思っていた。この日は10時から Web の商談が入っていた。育休前の引継ぎも兼ねていたので抜けることは出来なかったが、できる限りマキマキで終わらせる。終った後、

(あと1ヶ月くらい引き継ぎに費やせる時間があると思ったけどどうやらそれもだいぶ 甘い 見込み だったのかもしれないな)

と思った。週明けには引継ぎを短期で終らせて、早めに育休に入らないと。

商談を終えてすぐに、妻からまたLINEが入る。週末までのマタニティパンツが無いから、西松屋で買ってきて欲しいとのこと。そのLINEをみて、まだ自体はそこまで切羽詰まっている物では無い感じを受けて,少し安心した。

外は雨が降っていたので、私は息子を抱っこひもで抱え、 西松屋へ行くことにした。息子の体温を測ってみると37.3℃程度に下がっている。 解熱剤は使っていなかったけど、体調は良くなってきてることにほっと一安心。この慌ただしい状況の中で、それだけが唯一の救いであった。

職場の上司にも状況を電話で伝えた。ありがたいことに、上司は「家庭を最優先に。これからバタバタするだろうけど、こちらへの連絡は最小限でいいから。お客さんからの問い合わせはどんどん回して」との言葉。本当に救われる気持ち。ホントに上司に恵まれたなあ、と感じた。

更に急展開・・・先生からの『本日午後に出産します』

抱っこひもで息子を抱え、知らない番号から電話がかかってくる。私はなんとなく嫌な予感がした。電話を出てみると、妻の担当医からであった。

「急なことですが、○○さん(妻)の手術は状態を鑑みて、本日の午後早い時間に行うことにしました」

とのこと。私は呆然とする。

どうやら、妻の出血状況を見ると、土日を挟むことにリスクがあるらしかった。土日に万が一のことがあった時に、人手が足りないので、対応が不十分になる可能性があることが理由であった。そして、今日であれば 担当医の他に、様々な先生がフォローしてくれる状況であるようであった。

「電話で申し訳ないですが、こちらで旦那様のご了承を頂きたく。奥様にはご了承をいただいております」

とのこと。

何がなんだかわからない気持ちであった。こちらは抱っこひもで息子を抱え、片手で傘を差して電話しているような状態。メモすらもとれていないのだ。私は「わかりました」としか伝えようが無かった。同意の意思を伝えると担当医からは、出産のリスク、子宮を取る可能性、輸血をする可能性と輸血のリスク等、なんだか実感の湧かない説明が続けられた。私は力なく返事することしか出来なかった。妻がなんだか遠い場所にいる心地がした。

「それで手術は何時から なんですか」

と聞くと

「早ければ 13時からです。詳細な時間はこれから他の先生との会議で話し合いますが、午後の早い段階で行う方が人員の面でも良いと思っております」

とのこと。この電話をしていたのは11時すぎ。どちらかというともう12時に近い。 あまりに 急すぎて何とも頭が追いつかない。ただ妻の状態が最優先なのでそれを否定することもできない。正確な時間が決まったらまた連絡してくれるということだった。

「一度、妻に電話をする事は可能ですか?」

と聞いてみる.妻の状態が気になったからだ。先生は了承してくれた。

私は電話を切った後、妻のLINEを確認する。すると,妻からメッセージが届いていた。

妻に電話すると、声がか細かった。病室にいるため、周りに配慮しながら話しているのかも知れないが、いつもと違って不安が感じられた。その声を聞いて私も泣きたくなった。

「大丈夫だよ。大丈夫って先生も言っていたし」

と、それ以上は言えなかった。

 

手術前に、なんとしても妻に会いたい

妻と電話し、

なんとか手術の前に妻に会いたい

その一心だけになる。

ただ、息子の面倒を見てもらう方法がなかった。通常の立ち会いは私しか出来ないのである。田舎の母は早くとも13時頃の到着とのことであった。コレを待っていては妻に会えない。

 

私はダメ元で保育園に電話することにした。通常、保育園は37.5℃を越えた場合は預けることは出来ない。仮に下がったとしても、解熱後24時間は預けることが出来ないのだ。なので、断られてもしょうが無いとは思っていた。

「すみません、--という事情で、なんとか母が来るまで、保育園に預かってもらえませんでしょうか」

と、お願いをする。保育園の園長さんは、ためらう様子無く、

「事情が事情ですから、預かりますよ。奥さんに会ってあげてください。ただ、他の子に○○(息子)ちゃんの病状がうつると行けないので、隔離部屋が有るのでそちらで見てますね」

ということで、保育園の配慮で息子の預け先がなんとかなった。本当に感謝しか無かった。

そのタイミングで病院から電話がかかってくる。手術の時間は13時から14時になったとのこと。私はその電話に重ねるように、妻に会うことが出来るのかを確認してみたところ、先生は許可をくれた。14時ギリギリまで妻のそばにいても良いとのことだった。

私は息子を着替えさせ、保育園に預けに行く。保育園には、13時過ぎに母が来るので、そのときまでのお預けであることを伝えた。息子は少し心細そうな表情で私に手を振っていた。

私は急いで駅に向かい、待機しているタクシーに乗り込む。そして、病院に向かった。

 

手術前の妻との会話

13時過ぎに病院に到着。病棟の呼出ボタンを押して、面会希望の旨を伝える。

少しして、看護師長の女性が迎えに出てきてくれる。

(あれ、この人・・・)

その女性に見覚えがあった。確か、妻が3週間ほど前に前置胎盤の出血で救急車で運ばれた際にも、私に丁寧に対応してくださった方である。

「看護師長の○○です。旦那さん お昼ご飯食べましたか?」

「・・・いえ」

「このたびは急なことでビックリされましたよね。でも、奥様の状態を考えて、今回の対応が最善だと判断しておりますので」

と、丁寧に、且つ迷いを感じさせないように緊張を和らげるように状況を説明してくれた。わからないけど、そういった所作は慣れた様子で、きっと経験によって訓練されたものなのだろう。

案内された場所は、いつもの病室ではなく、分娩室であった。そして、部屋には助産師さんが1名、そして、病室のベッドごと移動してきた妻がいた。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

妻は淡々とした様子だったが、声は少し怯えてる様子ではあった。13時10分頃に到着。約40分間、ここに来るまでの状況や、妻が先生から受けた説明などについて色々と話した。なるべく 話を途切れさせずに 妻をリラックスさせることに努めた。

妻の口から

「死ぬ確率とか考えると、すごく低いんだろうけど・・・何かあったらよろしくね」

と言われる。

大げさだよ、と言いながらも、私も不安になる。もちろん、そんな自分の気持ちは出さないように努めたが。

13時50分になり、助産師の方々入ってくる。そして、そのままベッドで手術室まで移動。エレベーターで移動し、下の階へ移動。移動中も妻の手を握る。それくらいしかできない。

手術室の入り口に着くと、助産師の方から「それでは旦那さんはここまでで」と言われて、私は妻の手を離す。 そして、よろしくお願いします、よろしくお願いします、と言いながら手を振って妻と別れた。

母に病院で会う

妻と別れあと、私は一度 病院の入り口に向かう。母が病院に来ることになったからだ。

本当ならば、母には私の自宅の最寄り駅まで来てもらった後、保育園に息子を向井に言ってもらう予定であった。しかし、私も慌てすぎて、家の鍵を母に渡す手順をすっかり忘れてしまっていたのだ。そこで、母には申し訳ないが一度タクシーで病院に来てもらうことにしたのであった。

14時半頃に母が病院に到着。母はキャリーバッグを抱えて待っていた。

「ごめんごめん、じゃあ、これ鍵。あとこれはタクシーの往復移動代ね」

ということで、鍵と1万円札を渡す。

「今どういう状況なんだ?」

と尋ねる母。母は元々、体調不良の息子のサポート含めてきてもらっていた。それがまさか出産当日に来ることになるとは思っていなかった。ただ、母が来てくれたお陰で、妻とも立ち会うことが出来たのだから感謝である。

「ーーというわけ。申し訳ないけど、早く息子の保育園まで行って欲しい。保育園にお詫びの電話はしておいたから。あと、出産後もいろいろ説明を聞くことになるから、帰りは遅くなるかもしれない。急で申し訳ないけど、息子のこと、頼むよ?なんかあったら連絡して」

母は慌ただしくタクシーに再び乗り、保育園に向かった。

(改めてお礼をしないと・・・全てが終わったら‥終わりてなんだ?)

永遠に感じる待ち時間

私は落ち着かない心境でしばらく病院内をうろうろした。ただ、これから長丁場になる可能性もあるので、食欲は無かったけど、ひとまず病院の中の食堂には行って食事を済ませておくことにした。

(本当は験担ぎでカツ丼なんか頼もうかと思ったが、時間がすでに15時頃だったので売り切れ。頼める味噌ラーメンを頼んだ)

ラーメンの味はろくにしなかった。少し頭がカッカしている。これから 一体どうなるのだろうか。時間が本当に長く感じる。

ラーメンを食べ終えて食堂を出る。

(もう1時間10分経つのに連絡がない・・・どうなっとるんじゃい 気になるよう・・・まいったよ。)

15時10分頃に電話が鳴る。

知らない携帯番号であった。・・・いよいよ来たかと思い、電話に出ると、

「あ、○○さん(私の名)ですか?△△布団の物ですけどー」

「え?え、あああ、はい・・・どうも」

どうやら、母のために用意していた レンタル 布団屋さんからであった。

(タイミングが悪いよ・・・まあ、お願いしてるからしょうが無いんだけど)

届けが 16時から17時になるということであったので、はいわかりました、とだけ伝えて電話を切った。

(これも全て無事に終われば 笑い話になる。・・・終わらなければ本当にしょうもないことだ)

座りながら、どこに目をやったらいいかわからないのでとりあえず病院のテレビを見てみる。この日は九州で大雨となっていて、そのニュースばかりであった。そういえば 結婚式の時も 大雨だったよな とかどうでもいいことを思う。

15:45

一向に電話が鳴らない。さっきから病院の中ウロウロしてる。どうしようも無く、

帝王切開 時間

を何度も調べる。通常ならば1.5〜2.0時間くらいらしいが・・・だったらそろそろじゃないの?なんかあった?焦る。

母からLINEでメーセージが届く。保育園で息子を預かったが、息子は機嫌が あまり良くないらしい。ただ、ゼリーは食べたとのこと。

母がいてくれたことで、改めて病院で待つことが出来ていることを感じる。本当に、母が来てくれたことに感謝である。 体調悪い息子が弟?妹?のために呼んでくれたのかな?なんて馬鹿なことを考えてみたりもする。

16:06 まだ連絡こない。あせる 。もう長くないか ?これ結構 待ってないか?

母から息子の体温37度7分であることの連絡くる。 少し上がったのか?下がったのか?…そういえば、息子一太郎の晩御飯どうしよう。 そこら辺のことあんまり考えてなかった。でもまあ、さすがに 母も子育て歴30年以上なんだから、何か作れるだろう。・・・どうだろう、作れるのかな?

妻の状態も気になるし 息子も気になるし色々と気が せかされる感覚。

ようやく、そのときが来る。妻は?子供は?

17:00 まだ連絡が来ない。面会時間が迫ってきたせいか、病院を出て行く人が増えていく。スマートフォンの電池も大分少なくなってきた。充電器は持っているのだが、病院のコンセントを無断で借りるわけにも行かない。

これは長期戦になるかなと思い、私は一度病院を出て、近くのコンビニに行く。そして、モバイル充電器を買いに行く。3500円は高いと思ったが、これからなにがあるかわからないし。食欲は無かったが、今後どうなるか分からないので、念のため食料も買う。

 

スマホに充電器をつないだちょうどそのとき、スマホが鳴る。午前中にかかってきた病院の番号だった。

「あ、○○さんの旦那様のお電話番号でしょうか?遅くなりましたが、お子様産まれましたのでご連絡です。今のところ、母子ともに無事な状態です。出血はしましたが、思ったよりも少なく、輸血はせずにすみました。子宮も残すことが出来ました」

私は先生の説明を聞きながら、感情がこみ上げてくる。そして、相づちのたびにありがとうございます、とお礼を言う。

妻に会える状態と言うことなので、私は慌てて病院に戻る。

 

病棟へ行くと、看護師さんは入り口のところで待っていた。そして、「おめでとうございます!」と声をかけてくれた。続けて、

「奥さん、手術後に安心したみたいで、いま、涙が溢れてるんです」

ということを教えてくれた。 私はそれを聞いて涙が出そうになった。

妻のベッドへ行くと、看護師さんの説明通り、妻は目を潤ませて泣いていた。妻妻の様子を見て私も涙が出てきた。開口一番、

「お疲れ様、ありがとう・・・無事で良かった」

と伝えた。妻は点滴や心拍で繋がったりしていて、まだまだ自由に動けるような状態ではなかった。

妻は手術の前後の話をいろいろ聞かせてくれた。手術室では音楽が流れていたこと(たしか髭団とか)、 手術では10人くらいの人が厳戒体制で待ち構えてくれていたこと、下半身麻酔だけで済んだこと、麻酔が切れていたのか、子宮を縫ったあたりは結構痛かった事など。

その後 看護師さんが妻の状態を見に来てくれる。どうやらこの看護師さんはずっと 妻の心の支えに乗ってくれていたようで、妻は大事な人のように私に紹介する。

その後、18時から小児科の方に行き、看護師さんや小児科の先生から 生まれてきた子供について色々と説明をしていただく。

低体重児であり、退院の最低条件として 、

・37週までを過ごすこと、 ・体重が2700g を超えること ・呼吸器を外せること を説明された。説明の後、NICU に行って実際に子供の姿を見に行く(中耳炎で体調不良の息子がいることは伝えた上で、許可をいただいた)。

一人目はコロナまっただ中の時だったので、こういった 立ち合いができなかったけど、生まれた直後に見る自分の子供は本当に生命を感じて美しかった。 かよわい手足を動かしている姿を見て ウルッときた。本当によく頑張ったね。

その後、病院の売店に向かう。

サプリメント という意味でビフィズス菌売店で買う必要があるらしかった。購入後、再度 小児科の看護師さんに預ける。

 

説明を終えて病院を出たのが だいたい19時過ぎ。あっという間の1日であった。タクシーで 最寄り駅まで向かい ここから電車で家に着く。

家には母と息子が待っていた。母も息子も、なれない環境におかれ、大変疲れていていたようであった。同時にすごく安心した様子であった。

息子は緊張が解けたのか、突然に吐いてしまった。急な出来事でびっくりした。ただ、吐いた後は苦しそうにするよりも すっきりとした様子であった。その後、ご飯もパクパクと食べたので、多分、気持ちの面で一杯一杯になっていたのだろう。ごめんね、お兄ちゃんも沢山頑張ってくれました。

母は母で、生き生きとしたように料理を始めていた そして 電子レンジが汚いだの、ゴミがたまっているだの、いろいろと小言を言い始める。こっちはこっちで元気を取り戻している様子であった。

ご飯を食べたら直ぐに寝てしまいました。

以上、大変な一日だったけど、無事?に終えた出産であった。この先の展開は毎日の日記で書いてますので、ご興味あればどうぞ。