育児してなきゃ酒浸り日記

30代のサラリーマンです。2人の息子と妻との日々を書いています。只今育休中です。

育児にきっと答えはない。『子どもの文化人類学』を読んで改めて思う(育休130日目)

 

 

今日は一太郎(2歳)に怒った日。二太郎(0歳)に悪さをしたため。

 

怒るのはしんどい。怒っているときよりも怒ったあとの方がなんだか疲れる。一太郎がこちらの顔色をうかがっているのがわかるし、私もそんな一太郎の顔色をうかがっている。

 怒った表情が維持できないので、寝る前にはむしろこっちが気を使って接する。一太郎の反応がわからないけど、ホッとしているような、一気に気が緩んでまた悪さをしようとしているような…。

 正解がわからないけど、わからないなりに接して行くしか無いんだよなあと思ったり、もっとああしておけばよかったかなあ?と反省したり…。もう、ただの人間関係の悩みですね、これは。

 

 

最近、一冊の本を読んだ。

 

先日、図書館に行って予約本を取りに行くと、その中に何やら古い本が混じっている。はて、こんな古い本を予約したっけ?と思っていると、どうやら最近文庫化された本のハードカバーの方だったらしい。文庫本は2023年出版だが、元の本は1979年に出版されたものだったようだ。

 

 

子どもの文化人類学』という本。とても良い本だったので備忘録も含めて。

 

 

 

 

概要


極北の雪原に生きる狩猟民ヘヤー・インディアンたちにとって、子育ては「あそび」であり日々のこの上ない楽しみだった。ジャカルタの裏町に住むイスラム教徒は、子どもの喧嘩を「本人同士のビジネス」と言って止めずに眺めていた。本書は、環境や習慣が異なる社会における親子、子どものありかたをいきいきと描き出した文化人類学的エッセイである。どのような社会に生まれても子どもは幅広い可能性を内包しながら成長していくことが、みずからのフィールドワーク経験をもとにつづられる。鮮彩なエピソードの数々が胸を打つ名著。

本紹介より

 

本の表紙を見た時は、なんとなくの先入観で、

 

「子どもは親が積極的に関与し、新しい世界に導きながら可能性を広げよう」

「子育ては苦労が多いけど、喜びや感動のほうが大きい」

「子育ては親にとってこれ以上無いほど責任あること大切な仕事」

「子どもを愛するのは親としての本能」

「男女平等に!男性は育児に積極的に関わる世の中になるべき」

 

と言った、育児の先輩や評論家が語るようなことが書かれているかと思ったが…実際は予想に反していた。

 

文化人類学者である筆者が、主に自身の調査エピソードを元に感じた育児や親子のあり方などを記している。あくまでエッセイなので、学術的なお硬い見解を述べていると言う感じではなく、筆者の思いが込められた柔らかい文体である。

 筆者はヘヤーインディアンと呼ばれる種族(またそれ以外の種族)の子育てや家族関係を紹介しながら、育児というものは絶対的な正解があるわけではなく、場所や時代を変えれば全く異なる価値観(現代の日本では確実に非難を浴びそうなものでも)で行われていることを記している。子どもを可愛いと思わない親、しつけという概念の無い種族と言ったように、筆者が紹介するエピソードではどれも新鮮で、それはぜひ本を読んでほしいところである。

 

【個人的メモ】

・時間はかかるかも知れないが、しつけをしなくても、子どもは必要なときに必要な能力を自ら習得する力を有している。

・子育てを責任ある仕事ではなく『楽しみ』として捉える種族がいる。自分は「仕事」として捉えすぎていなかっただろうか。

・苦労して産んだ子どもを忌み嫌ったり自己の利益のために利用すべき存在として扱う種族もいる。子どもへの愛は、人間の本能的なものではないかもしれない。自分の子どもに怒りたくなることもあるけど、その感情を「非人間的」として無理に否定しなくても良いのかもね。

・男と女の仕事をかなり明確に分けている種族もいれば、どちらも同じように行う種族もあり、それはやはり文化によってマチマチである。今の日本では男も育児に関わることを推進しているが、それも結局は文化的なものに過ぎず、「人間としてあるべき姿」という仰々しいゴールに向かっているわけではない。住む環境や時代によっていくらでも変わりうるものである。

・子育てに徹底的に合理的なしつけを施したり、非効率な修行の排除(ホリエモンの言説を思い出す)を進める人もいるけど、それで失うものはないのだろうか?

 

 

なお、筆者はあくまで言葉を選びながら、子育てに対する自身の考えを述べている。いずれも、「もっと肩の力を抜いて育児したら?」と言っているように思われた。

 

人間が子どもを育てるということは、赤ん坊のもって生まれた可能性を、特定の方向にのばしてやることであると同時に、ある種の可能性を抑え込んでしまうことであるようです。

(P16)

日本人の親の中には、「自分の子は、こうあってほしい」という願いが強いあまりに、かえって自分の子どものありのままの姿が見えなくなっている人があるといわれます。そういう意味では、子どもたちをあるがままに見ることの達人、ヘヤーインディアンに学ぶべきかもしれません。

(P71)

 

最も響いたのは以下の文章。最後の一文である。

日本に帰って来て、まわりを見回したとき、子どもも、青年も、「教えられる」ことに忙しすぎるのではないかと思うようになりました。もちろん、はじめに述べたように、私たちが済んでいる現代日本の文明社会においては、一定のカリキュラムにもとづいた教育が必要であることは認めます。しかし自分の心に浮かぶ好奇心を自分のペースで追求していくためのひまがない子どもが多いことは、悲しいことだと思います。(中略)そのためには、「よく観て」、「自分でやってみる」という時間が必要です。そして大人側に、それを待ってやるゆとりが必要であるように思えます。

(P201~P202)

 

うーん。そうね。そのとおりですね、先生。なんか親目線で教えたいことを「どうやってうまく教えてやろうか?」という風に心を奪われてしまっていたかもしれません。まずは息子たちが何に興味を示しているのかを、親が見てあげなければなりませんね。

 もちろん時代ごとに求められる理想の育児像があることは否定しないけど、それに束縛されたりすがったりする必要はなく、日々子どもと向き合い、試行錯誤しながらそれぞれの家庭の中でそれっぽいやり方を見つけ出すしかないのだと感じたのでありました。

 

 この本は、育児に関する疑問や悩みについて明確な答えをくれる訳ではない。それでも、なんだか心が救われるというか、子育てや家族観における「こうしなければならない」というプレッシャーから少し開放された気がした。

 育児に迷ったら、もしくは育児メソッドに揺るぎない自信を持ってしまったら…再度読んでみたい。初版から40年以上経過しているが、情報が溢れる現代に育児をする親世代にこそグッと響くものがある、なんとも温かい本でした。

 

 

なお、本著を紹介しているこちらの解説も素晴らしいのでオススメ。

www.webchikuma.jp

 

 

最後に、この本は、『うどん家の日常』さんで何度か紹介されていたのを読んで興味を持って図書館で予約していた。素晴らしい本を紹介していただきありがとうございました。(勝手に引用失礼します)

noodlenodu.hatenablog.com

 

自分も日々育児で悩んでいるけど…、まあ、悩んでもいいから、難しく考えすぎず楽しむ気持ちを忘れずに子どもと向き合っていこう。