天気 曇り時々晴れ。
朝。
妻が朝食を食べてる間、私は二太郎を抱っこしながらテレビを観る。一太郎は同じくリビングでプラレールで遊んでいるのだが、トーマスのプラレールが動かなくなる。一太郎は私にトーマスを突き出し、ニコニコしながら
「パパ、トーマスのプラレールうごかなくなったよ。でんちいれて」
と、しっかりした日本語で要求。しかし、私はそれを褒めるのではなく、お説教モード。
「ダメ。いっつもプラレールを動かしっぱなしにするからトーマス動かなくなったんでしょ?だからパパ言ったでしょ。言ったのに聞かなかったでしょ?一太郎」
一太郎「うん」
「電池替えても、また一太郎、トーマス動かしっぱなしにするでしょ。そしたら電池すぐに無くなるんだよ?」
一太郎「うん」
「今日は電池替えられません。ノンタンでもぱっぱらぱなし※はダメだったでしょ。ノンタンと一緒じゃないの、一太郎」
※『ノンタンぱっぱらぱなし』のこと。散らかしっぱなしのことを「ぱっぱらぱなし」という世界観。一太郎が好きな絵本の一つ。
一太郎「うん」
などとやり取りしていると、妻が
「ねえ、ちょっと、一太郎への言い方、結構キツイんじゃないの?」
と言う。
私は自分のどこがキツイのか分からず「いや、別にきつくないでしょ?」と、本音のまま言い返す。心のなかでは
(いや、自分だってキツイ言い方しているときあるでしょうが。自分じゃ気づかないのかね。まあ、余計なことは言わないようにしておくけどさ…)
と思っているわけで。もちろん、口に出すと喧嘩になりそうなので止めておいた。態度には出てしまっていたが。
ただ、もしかしたら、私もどこかイライラしていて、それが言葉遣いだけではなく語調にも表れてしまっていたのかもしれない。どの家庭もそうだろうけど、朝はやることが色々あってバタバタしているからね…。今日は家事を終えてホッと一息ついて、テレビを観ていたわけだが、二太郎が急に吐いてあたふたした。その後で一太郎が電池の事を言ってきたので、言い方が通常以上にイライラ感があったのかもしれない。
ただ、こういう「言い方」のところで子どもの記憶に残るような傷をつけてしまわないよう、気をつけなければならない。一太郎はまだ2歳だからあまり記憶には残らないだろうけど。いや、そんな事無いのかな、なんとなく残ってしまうのかな…?そう思うと心配になってくる。
自分も少し頭を冷やす。そして、だんだんと、一太郎に申し訳無い気持ちになってくる。そして、その後のフォローということで、午前中は一太郎と二太郎と3人で公園に行くことにした(妻は自宅で留守番)。
私の気持ちなんて関係ないかのように奔放に遊ぶ一太郎。すべり台の下で最近ハマっているABCの歌を歌いながら、木の枝をグルグルする。私は「休憩してベンチでジュースを飲もう」と、一太郎に媚びるように、妻に内緒で持ってきた紙パックのジュースを一太郎に差し出す。喜んで飲んでいる一太郎にホッとしつつ、こんな父親でいいのか?と情けなくなる。
オヤジだったらガツンといって何が悪いんだ!然るべきときに叱るのはオヤジの役目だろうが!
と思いたくなる一方、「そういう時代じゃないんだもん。そんな理屈は妻ちゃんも納得しないよ」と思ってしまうわけで。
まあ、言い方のキツイ親父になるのは別に私も望まないので…妻の指摘には感謝ですね。色んな気持ちがグルッとした日でした。